修了生の皆さんへ
掲載日:2013/03/26
本日、大学院の課程を終了し、修士の学位を取得された985名の皆さん、専門職学位を取得された42名の皆さん、博士の学位を取得された222名の皆さん、おめでとうございます。このすばらしい研究の成果を得られ、学位を授与されましたことに心からお祝い申し上げます。また、ご臨席賜りましたご来賓の方々に心から御礼申し上げますとともに、ご列席のご家族そして関係される方々に心からお慶び申し上げます。
皆さんはいろいろな分野で研究されましたが、大学院で研究するという毎日はその多くの時間を研究という仕事に没頭されたことであると思います。極めて貴重な時間であったと思います。
そこに注がれた莫大な若きエネルギーを感じますとともに、そのような皆さんを誇りに思います。そのようなご努力が今日の学位取得という成果を生み出したものと信じます。そのような経験を積まれた専門家として、これからも研究がもたらしている人類の幸福という視点を持って専門家として、社会のオピニオンリーダーとして活躍していただきたいと思います。
皆さんの行ってこられた研究という仕事についてある面から考えてみたいと思います。研究という行為には多かれ少なかれ、何かを創造する、作り出す要素が必ず含まれていると思います。何がそこで生まれるかということは分野によってもテーマによっても異なるのは当然と思います。しかし研究者はそれが文系であろうと理系であろうと、生まれてくる考えや法則や物質などの産物をあらかじめ予測し、時には期待して、多くの研究者は人類の平和と幸福のためになると信じて研究を行っているのだと思います。それは極めて重要な研究者の魂ともいうべきことであります。しかし人間の歴史を考える時、結果として常にそうであったかというと必ずしもそうではありません。例えば戦争といういわば環境の変化が起こった時には、多くの研究成果が直接間接に戦争に利用されたという歴史を考えるだけでも理解できるところであります。研究者がそもそも恋願っていた研究の成果物の究極の願いとは異なる進路をとることがあるという歴史のあることを知ります。例えば、成果としての原子力をひとつ例にとっても、原子力の研究によって人類はどれほど多くの科学の進歩を享受できたかということは多言を要しませんが、一方で原子爆弾という使われ方すなわち武器利用が起こった時、様々な変化が起こりました。そもそも爆弾として使われたことに加えて、それを所持することによって政治的な国の力を誇示するという使われ方もしています。今日でもそのように考える国際的な政治の動きもあるように感じます。原子力領域を開発した研究者たちはこのような利用のされ方をする時を迎えるということをどれだけ予測したでしょうか。そして社会はどれだけ知り得たでしょうか。多くの研究者が語るように、利用の仕方によっては人類の滅亡をもたらすという力をもつ原子力の危険性を知りつつ、そしてその恐ろしさを制御できないことを知りつつ、原子力を利用することは誤りであるという原則を知らなければならないと思います。歴史には科学の成果物は人類を幸せにすることばかりではなく、時に不幸ももたらしてきたことのあることを知るべきであります。このような不幸をもたらさないために、研究者自身が考えねばならないことを科学の進歩は教えているように思います。
"技術が人間を救うのではなく、人間が正しく技術を機能させる"ことなのだと思います。すなわち研究者は何らかの成果を生み出す技術やその時の考えだけではなく、研究の成果が生み出す人類の夢と幸せを常に合わせて考えられる研究者であり、そのような研究の物語が完結することが求められる時代が来ていることを知るべきと思います。すなわちこれは研究者の社会に対する説明責任というものであり、そのために研究者としての倫理観すなわち研究者は常に学術成果が社会に、人類にどうあるべきかを考え、そして語ることができる研究者であることが必要であるということではないでしょうか。それには個人の考えが重要であることは確かですが、決して個人の力のみでは十分ではないと思います。一つの研究領域を考えた時でも、現代ではそこには極めて多くの研究領域がかかわっており、そこから生まれた成果物にはいろいろな分野の成果物が高度に統合されるという仕組みを作っていると思います。すなわちいろいろな分野の成果物の統合によって成果物が生まれたということです。その統合が正確に行われないとすると、それぞれの成果物と成果物の間には知識の空白地帯ともいうべき知られてない部分、あるいは制御できない部分の存在が出現することがあると思います。それが時に大きな障害や災害をもたらすという悲劇になることがあると思います。その空白と障害を防ぐためには、個々にかかわる多くの研究者、専門家の相互理解が必要であり、そして国民的視野を持って議論が展開されるべきであると思います。
専門家は多くの方々に常にその大切さを公開し、議論し、研究が実のあるものになるための日常を作らねばと思います。それは時には国内だけではなく、国際的に行うことが求められるでありましょう。皆さんの優れた研究成果、そしてそれに関連する考え方もその機能を発揮させるために今述べたような心を持ち活動していくことがいろいろな場面で専門家として求められていることを知って欲しいと思います。
最後にこれからの皆さんのご活躍を先輩も後輩も、そして私たち教員も職員も期待していること、そして学び舎はいつもあなた方を待っていることを忘れないでください。このことをお願いして学位記を授与されたお祝いの言葉とさせていただきます。
平成25年3月26日
千葉大学長 齋藤 康