研究成果・活動報告
Research & Activities

第4回 移民難民スタディーズ研究会 報告

第4回 移民難民スタディーズ研究会 報告

「中東政治史と千葉の地域社会をつなぐ移民・難民研究」

2020年10月29日(木)

報告

報告1「千葉県印旛地域における中古部品貿易業者の集積とアフガニスタン人コミュニティの形成」福田友子(千葉大学国際学術研究院)

第一報告では、在日ムスリム移民研究を専門とする福田氏より、近年、千葉県印旛地域を中心に増加しているアフガニスタン人コミュニティ形成の現状と背景について報告がなされた。

日本は難民認定の基準が厳しく、認定率が低い(0.4%程度)ことで有名である。難民申請希望者は、あえて望みの薄い難民申請はしない。それに代わる選択肢が、企業経営者向けの「経営・管理」と従業員向けの「技術・人文知識・国際業務」という在留資格である。「技・人・国」のビザを取得すると、母国の家族を家族滞在ビザで呼び寄せることができ、これがアフガニスタン人増加の背景となっている。

彼らの民族的背景に目を向けると、千葉県印旛地域(四街道等)に集住するアフガニスタン人の大多数は、ダリー語を母語とし、イスラム教ではシーア派を信仰するハザーラ民族が主である。アフガニスタン国内でも民族的・言語的・宗教的マイノリティであるハザーラ民族は、アフガニスタン紛争の中で長年迫害されてきたことから、「準難民」の傾向が強いが、ビジネスに成功した人々が多く、比較的裕福な移民である。彼らは特に、中古部品貿易業に従事しており、前述のように家族滞在ビザを取得した子弟たちが次々と来日している。こうした余波が教育現場にも及んでいる。たとえば四街道市の小中学校や多文化フリースクールちばでは、アフガニスタン人児童・生徒の急増傾向が見られる。千葉県の印旛地域を中心とした在日アフガニスタン人のコミュニティ形成は、アフガニスタン紛争や中東の宗派対立といった国際政治の影響を受けて生じた事象である。

質疑応答では、ハザーラ人たちがなぜ日本を選択したのか、日本において、ハザーラ人と同じシーア派が多いイラン人との協力関係はあるのか、といった質問がなされた。これに対し福田氏からは、ハザーラ人が日本を選択した理由として、中古部品の仕入拠点として日本を選ぶことにメリットがある人たちが来日していること、宗教と言語を共有するハザーラ人とイラン人との間にはビジネス上の協力関係は見られるが、宗教面での協力関係はあまり見られないことが報告された。教育現場においてアフガニスタン人の教育に携わる参加者からは、来日後、宗教上の理由から、学習機会に男女差が生じているという現状も紹介された。

報告2「移民難民研究・移動する人々を社会科学のなかでどのように位置付けるか」酒井啓子(千葉大学社会科学研究院)

第二報告では、イラク地域研究を専門とする酒井氏から、これまでの人の移動に関する研究を踏まえて、途上国、特に紛争国を包括的に把握するための非欧米の政治学の枠組みの提案がなされた。

途上国を中心として社会科学を考える時に、頻繁に重要な場面で登場するのが「移動」というキーワードである。政治学を中心として移民難民研究の見取り図を描いてみると、それらには「移動」というキーワードが登場するさまざまに異なる現象に、連続性があることが浮かび上がってくる。

そもそも途上国における「移動」は、従来の研究では、歴史的背景・社会的特性などの原因研究が主とされてきた。地域研究では、領域が固定化された西欧モデルで確立された主権領域国家、国民国家といった国家概念とは異なるオルタナティブが途上国において存在すること、とくにイスラーム世界では主権概念が領域に属するのではなく、人に属するため、人は領域を超えて移動してもなお王朝の臣民であるという、西欧国民国家と異なる国家観が存在していたことに着目する。それは、遊牧民族の伝統とも相まって、中東・イスラーム世界における非西欧型国家形成における「移動」の「伝統」(A)として理解される。次に、「西欧型領域主権国家概念の導入」の過程における様々な形のネイション形成での「越境性」(B)が見られる。帝国システムのなかの「エリートの巡礼」経験が領域国家システム導入後も個別の国家領域に対する超越性として残り、国家形成の過程でのPan-ismというイデオロギーとして移動が正当化される。しかし、1980年代以降、Pan-ismは衰退し、領域国家への閉鎖性・強権化(C)が見られるようになった。そこには、西欧型国家建設が植民地的支配関係のもとで行われたことやそれへのオルタナティブへの志向などが原因で民主主義や議会代表制などの制度設計が不十分・不整備な形で国家制度が構築されたという途上国のひとつの特徴が挙げられる。途上国では、こうした制度的不備ゆえに、その地から他へと出ていく人たちが生まれてくるという「移動」のメカニズムが生じる。このことは、ハーシュマン(1978)が提起した、Voice(発言:すなわち政治参加)ができない環境においてはExit(退出・離脱)というシステム外への「移動」により紛争回避の方法がとられる、という概念に合致している。このような、国家の失敗、破綻による国外への離脱者の出現、排外的ナショナリズムによる反体制派やマイノリティの国境外への追放、といった現象は、必ずしも途上国の伝統や特質性に起因するものではなく、欧米諸国を含めた一般的な失敗/破綻国家に当てはまる「移動」現象だといえる。

さらには、このCとは異なり、物理的な移動ではなくシステムからの離脱(exit)の形態をとるのが、voiceではなく非合法暴力なども含めた(体制からの)離脱の形態(D)である。国内にいながらの離脱(地下非合法活動)のほか、亡命政治家など、国外で非合法活動を行うなど二重の意味での「移動」もありうる。アルカイーダやISなどはDの形態を取るものであると言え、無秩序地域に拠点を置いて独自の秩序を構築している。

なお、以上のA-Dまでの間の「移動」とは異なる種類の「移動」が、次のEである。すなわち、植民地期の「臣民」として出身国からの「移動」(E)であり、外地への移動ではなく旧帝国内への移住、例えば植民地宗主国への「同じ国民」としての移住・定住などが当てはまる。

以上を総合してみると、A,Bは非西欧社会の伝統的な国家の容態の反映、西欧近代国家に対するオルタナティブの「移動経験」、C,Dは出身国の国家形成・統治の失敗の結果としての「移動経験」、Eはコロニアルな遺産としての「移動経験」と位置付けることができよう。それは、それぞれに「移動」の原因、背景が異なっているものの、一連の流れのなかで相互に影響しあっている。ところが、先進国中心の研究視座の中では、A,Bの要素は近代国家の在り方のなかではそぐわないものとして捨象され、C-Eのケースのみが取り組まざるを得ない問題として扱われる。そのなかでもE,Cはホスト国の多文化共生社会市民社会論として、Dはホスト国にとっての安全保障研究として、個別に取り組まれた。そこでは、彼らが「移動してきた」という結果だけが注目され、個別のケースの違いが捨象されるとともに、それぞれの連関性も考慮されていない。たとえば、ムスリム移民全員にイスラーム帝国時代の俗人的主権意識残存をみることは間違いだし、反面物理的に領域から離脱する者と領域内にとどまっていてもシステムから離脱する者とを切り離しては理解できない。

こうした背景を踏まえて、欧米中心の移民難民研究を再考し、途上国中心の政治学・社会科学の枠組みを組み立てた上で、移動する人々の問題を考えていくことが必要なのではないだろうか。

その一方で、上述したような「本来個別背景の移動の事例」が欧米型社会科学のなかで単純化されるのに対して、これらの違いをあえて同列視し運動の動員母体の拡大につなげようとする運動体があることに注目したい。たとえばISはDの失敗から生まれた運動体であるが、それをさらに広い基盤のもとに成立したものに見せるために、A,Bといった西欧に対するオルタナティブのロジックを援用し、特にEとC, Dを意図的に連動させるロジックとして起用している。こうした流れを一体どう考えるのかが非常に悩ましい。また、現在の中東研究はvoiceの側面のあらたな動き(非暴力的路上講義運動(拡散))をトレンドとしているが、なぜ、exitからvoiceに転換していったのかも解明されるべきであろう。

最後に報告者より、「移民難民研究」と括られる研究分野はもっと幅広く、移動の経験・記憶を持つ人々の共振性、連帯意識が移動前の社会における伝統・移動の理由、移動の経緯、移動後の環境などの違いによって異なるのか、それともその違いを超えて広がりうるのかを問うものであっても良いのではないか---つまり一言でいえば、移動を問わなくてもよい社会が生まれるのか?という学問的問いがあっても良いのではないか。といったことが提起された。

フロアからは、exitからvoiceへの再転換において、インターネットがはたす役割や、インターネット空間における身体性の変容についてのコメント、移動する人たちを対象としてきた移民難民研究において、移動できない人の存在をどう捉えていくのかといった疑問が投げかけられた。また、ひと口に「移動」と言っても人・モノ・金・習慣・価値観など多種多様なレベルでの移動があり、それぞれの変化にかかる時間的スパンが異なるため、本プロジェクトで扱う「移動」の概念の範囲について議論が必要でないかといった提起がなされた。

参加者32名(zoomオンライン参加)

記録:相良好美(グローバルプロミネント研究基幹 特任研究員)

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